1976-09-01 第77回国会 参議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 閉会後第27号
ただ強いて申し上げますと、先般、黒部証人のときに若干出ておりましたが、MDAOのスタッダード所長というのは、当時の黒部装備局長のところに来られたということは私どもも黒部前局長から伺っております。ただそれは時期的には四十七年の春ごろというふうに、四十七年度予算の成立した直後というふうなことでございまして、その辺の因果関係は必ずしも明らかではなかったということでございます。
ただ強いて申し上げますと、先般、黒部証人のときに若干出ておりましたが、MDAOのスタッダード所長というのは、当時の黒部装備局長のところに来られたということは私どもも黒部前局長から伺っております。ただそれは時期的には四十七年の春ごろというふうに、四十七年度予算の成立した直後というふうなことでございまして、その辺の因果関係は必ずしも明らかではなかったということでございます。
それからさらにスタッダード所長が四月、春ごろにという御証言でございますが、来られたということにつきましては、その後黒部さんにもまた御照会申しておりますけれども、やはり先般御証言のありましたようなことでございまして、まあ言うならば四十七年度予算要求で開発着手が認められなかったという事実を知って来られたということのようでございます。
この黒部証言によると、四十七年の春、昭和四十七年度予算の原案が決まった直後ぐらいに、MDAOのスタッダード所長が黒部装備局長を訪ねて、PXLの開発はだめになったようですねと、これを買ったらどうですか、こういうことでP3Cの額入りの写真を持ってきた、こういう経過が証言をされているわけでありますが、これは非常に重要な証言だと思うんですが、坂田防衛庁長官は、昭和四十七年の十月九日の白紙還元以前にそのような
しかしながら、その後五月の十四日の新聞紙上におきまして、黒部元局長のところにP3Cの購入の可能性の打診というのが当時のスタッダード所長から行われたという記事がございました。そういうことが載っておりましたので、その事実関係を黒部さんに照会いたしております。その際は、先般御証言にありましたような御意向でございまして、まあ私どものやりました調査というのは、そういう、以上のような調査でございます。